2012/08/04

8月4日 村上

今日も暑かったです!!




島田君が髪を切って来ました。

一平君が看板をたてました。


夜、谷内丑町会というところの納涼祭にお呼ばれして、パフォーマンスをしてきました。
内容については他の人の日記に書いてあると思います。
そのうち上げまで参加して来ました。




ここで、隣りに座っていたおじちゃん(名前忘れちゃった!)から十日町で織物が盛んな理由を聞きました。それは冬にとてもたくさん雪が降るから、室内で仕事できてお金が入るから、というものでした。最初はどこかから意図的にもってきたらしいですが、それが今日まで続いているのはすごいなと思います。
また、隣近所同士で除雪を手伝いあうから地域の繋がりが強くなりやすいとも言っていました。

川治での運動会の慰労会でも思いましたが、「自分たちの地域を、自分たちで意識的に盛り上げて行こう」という意識を強く感じました。

08/04

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シマです。

他メンバーの記事にもあるとおり、昨夜は納涼祭に参加しました。

とても小さな地区の小規模なお祭りでしたが、会の皆さんが真剣に祭りの事を考えている様子にグッときました。

祭りの内容を知らぬままにパフォーマンスを考えたため、盛り上がりはイマイチだったのですが、景品に用意したスイカを配る事で地域の方々とグッと距離を縮められたと思っています。
会の皆さんは、よそ者の僕らを快く迎え入れてくれて、ビールや焼き鳥、うどんにフランクフルト、ジャンクなフードをシコタマ食わしてくれました。

図々しくも慰労会まで参加し
図々しくも慰労会の二次会(スナックほたる)まで参加したために
床につくのは深夜の三時頃でした。
その日出会った人とスナックでカラオケをやる、ってのが最高に楽しかったです。
必死にタンバリンを叩き、必死にアジアの純真を踊りました。
(銀河がエミネムを歌ったのには驚かされました)

この会のトップ(会長)の桑原さんは、越後妻有里山現代美術館(キナーレ)の職員さんでもあります。
とてもアツいおじさんです。
とても勢いがあります。

その桑原さんのおかげで僕らのビラやポスターをキナーレに置いて頂ける事になりました。

キナーレは、大地の芸術祭全体のインフォメーションセンター的役割も果たしている施設のため、ここで宣伝して頂けるのは非常に大きいと思っています。

803 明後日新聞社文化事業部 長岡の花火

大地の芸術祭参加作品 莇平「明後日新聞社文化事業部」を見に行きました。
これは、プロジェクト型の作品です。人口は60人と少しの山間部 莇平集落の廃校を「明後日新聞社」として、定期的な新聞の発行と、文化事業部と題した様々な文化活動を行うのがその内容です。
これを統括しているアーティスト日比野克彦は、大学で僕が所属する研究室の先生でもあります。
この活動はもう10年以上続いていて、最近はここに若手アーティスト向けのレジデンス施設も出来ています。今、芸大で同期の望月という友人が住み込みでスタッフをやっています。(一平がよく写真を撮っているやつです)
遊びに行って、チラシを交換させてもらいました。
以下写真をどうぞ。

レジデンス施設であり、今年新たに増えた作品でもある「想像する家」外壁はパネルマグネットで自由に装飾できる。


「想像する家」受付の望月。1Fの壁面はこれまでに発行された新聞で装飾されている。赤が効いているのは「×日町」のポスターとチラシ。

1Fの縁側から外を見るとこんな景色。良い家ですよ。

2Fの内装は一面ホワイトボードで、絵を描くことができる。


僕も床の間に描かせていただいた。

家の外にも作品が点在する。これは日比野さんの船。


この日一緒に行った一平のブログでも、明後日新聞社の紹介があります。そっちには、廃校をリノベーションした展示の写真も載っています。

夜は、銀河と長岡の花火を観に行きました。
これは本当にすごかったです。

純粋経験って感じでした。写真では1ミリも伝わらないので、撮ってません。





8月4日


一週間ほど、
ブログを書いておりませんでした。
久しぶりということで長々と書かせて頂きたいと思います。
会期も始まりましたので、これからは毎日ブログを更新する事を自分に義務付けて頑張りたいと思います。

一週間も暑さと忙しさにかまけて毎日の生活を記録しなかった事、
申し訳ありませんでした。
僕だけブログの更新率が異常に低いのでもうちょっと頑張って更新していこうと思います。

竣工式のビラ配りをしていたという話を前回書いたんですが、
竣工式当日はそれはそれはむんむんと立ちこめるような熱気の中。
気合いを入れて万全の準備を整えてさあ始めようという感じだったんですが、
なんとお客さんが前回の建前の時の三分の一ほどしか来ませんでした。

これには僕は驚きました。

前回のビラのくだりで50枚配ったビラに対して100人のお客さんがいらしたと
書きましたが、
実は僕はそれからすっかり調子にのってビラを配りに
配りまくってましたので、
さすがにちょっと拍子抜けしてしまいました。
多分、時間帯が不明瞭だったとか、日照りが強すぎたとか、
まあ色々と原因があったと思います。

ともあれ、こちらで御招きしたご近所の方々や、施設の方々の助けを得て、
なんとか午前の部から午後の部まで乗り切る事が出来ました。
中でも一押ししたいのが、
十日町の和太鼓の父・半間先生の人間楽器です。

これはその昔
テレビ番組であの明石家さんまを閉口させたという程の技で、
半間先生はこの人間楽器で30各国以上の国をわたり歩いてきたそうです。

どんな技かといいますと、
80歳を過ぎたにも関わらずいままだ衰える事のない四オクターブの声で
ハワイの弦楽器や、オペラ歌手の歌まねをするのです。

なんといっても驚くべきは、この技を魅せる時の半間先生のテンションです。
僕には到底乗り切れないというような雰囲気の会場を半間先生は人間楽器だけで
ワッともり上げられました。


この技は、技量3割、気合い7割というイメージが僕の中にあります。


この流れに乗って僕や橋本もパフォーマンスをさせてもらいました。

半間先生様様でございます。

さて、竣工式の次の日から実質僕たちの家の中での生活が始まった訳ですが、
日中の外の気温が本当に暑すぎてなかなか家の中にとどまり続けるのは困難です。

僕なんか、金魚のモーニングを実家からこちらの方まで連れてきたんですが、
家の中にポカリスエットのペットボトルを置いておくと、生暖かくなってしまうほどですので、金魚を家の中で飼うのはかなり危険だと踏んでいます。

外での生活が始まってからというもの、僕たちは施設内で食事をしなくなりました。
現在では毎日頂き物の野菜(トマト、ナス、ピーマン、夕ごう、トウモロコシ、ネギ等)
を駄目になってしまう前になんとか消化してやろうという気持ちで、ほとんど外食もしていません。

僕は今、近所の長津さんというおじさんの建てた倉庫にペイントを施そうと動き出しています。
予算を先に頂いてその中でやりくりするという感じです。
僕たちの日々は、続いていきます。

僕たちは光り輝く明日へと走り続けるのです。

PS ちゃんとブログを更新していけますように。(祈)