2012/09/20

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ばつかまちが、終わりました。最終日はゆっくりと時間が流れました。
終わるときにパフォーマンス「橋本の家すごろく」と、いうのをやりました。
等身大のすごろくで、マス目が全て橋本の家で起きた出来事なのです。プレイヤーは4人位でやります。止まったマス目で何が起こるかは、全て司会の僕が決めます。全員上がるとパフォーマンスは終了です。これをお客さんと施設職員の方と一緒にやりました。思い付きでパッと始めたにしてはなかなか面白くやれたと思います。
自分なりに色んなものに対しての感謝の気持ちを表すことができたかな。


そして、打ち上げをやりました。僕の家でやりました。

施設職員の方や、近所の方々も来てくれました。

老人ホーム「まほろばの里」がそびえ立ち、夜も煌煌と明かりを灯してがんばっている。
その隣に、こんな光景が在る。

これが、僕たちが3ヶ月かけて作り上げた風景なんだと思いました。

今回のプロジェクトで個人的に反省するところは沢山ありますが、このとき僕はとても幸せでした。


これで、×日町のブログを終わります。ありがとうございました。


9月19日 阿部

昨日でこの『×日町』も終了し、今日から撤去作業に入りました。
だけど、このところ記録映像以外の作業もあってアップできていない分があるのでもうしばらくは最終日までの映像を作ってみますね。



僕らの6つの視点で施設や地域との関わりを記述してきたこのプロジェクト。
僕は3ヶ月間十日町で暮らしながら「ずっと十日町に住めるか」という事を何度も考えました。ここに住んでからいろんな人に
「十日町はどうだ?辛いだろ(笑)?」
「ここはこういう土地だからこうしなくていけないよ」
「あんたたちにはここにずっと住むのは難しいだろうな〜」
なんて言われます。
その度にう〜んと悩んだり、畜生!と悔しい気持ちが込み上がってきます。


でも本当は場所はどこでもいいのです。「その土地に住む覚悟があるのか」ってことです。それを問われているように感じていました。
十日町のような場所(知り合いもいなかったし、東京に比べればはっきり言って田舎で、豪雪地帯で老人ばっかで・・・)ではこの言葉のさす意味が分かりやすいかもしれません。それでも「ここにいたい」と思えるか、です。
でも多分、どこに住むにしてもこの意識はとても大事なんだと思います。
浅草に戻っても、これから新しい土地に住んでも。


「ずっと十日町に住めるか」的に土地をみると、それまでの自分の認識の甘さに気付き
、普段よりリアルに物事を考えます。俯瞰していた視点が急降下してアイレベルでの思考が働くのです。美術作品を鑑賞するときに自分のお金で「買う」意識を持って観ると良いって言ってたのは誰だったかな?まあそれは良いとしてその意識が自分に芽生えたことはすごく良かったです。



肝心な答えはまだ出せませんが、3ヶ月もいると別れたくない人たちが沢山出来ました。
そして、いざそのタイミングになると急に寂しくなり「もう少しここにいたいかも」と思いました。






まほろばの里の施設長 羽鳥さんをはじめ職員の皆さん、かわきたの皆さん、×日町にきてくれた全ての人、本当にありがとうございました。    





阿部圭佑