2012/08/29

橋本 822−828

橋本です
ずい分と更新が滞ってしまった。そして、過ぎ去った日々に何をし、何を思い、考えていたのかあんまり思い出せない。まるでキングクリムゾンの攻撃を受けたかのようだ。
(などと冗談を言っている場合ではなく、気をつけよう)

どんどん「書いて」いかないと、「逃げて」しまう。
8月22日
朝5時に目が覚めたので、屋上に登って朝日をスケッチした。印象派絵画だ。



これは、僕の家に展示しているので僕の家を訪れた際に「屋上からはこんな景色が見えるのかー」という感じで鑑賞してください。


そして、銀河とのセッションについて思考をした。

その後で、仮免許試験。落ちた。
心に迷いがあったのだと思う。見事に緊張して、シートベルトをつけ忘れそうになっていた。

(これにより、23日の補習、24日の再試験となる。22000円飛んだ。まあ、運転の厳しさを身を以て知り、これによって将来の事故を防いだと考えればね。)

銀河との公開稽古の2回目。二人とも感覚がつかめてきた、ように思う。パーカッションの音をリズム・大きさ・音色でもってイメージに変換する感じで、それが絵画的にできるとうまくいく。おそらく、今朝スケッチをしたことがこの方法論には反映されている。

23日は、朝少し書道などをやって、そのあとで補習。ここのところ暑さがひどくて、なんだか何もできなかった。というかまじで記憶が飛んでいる。明くる日の仮免は絶対落ちれないから、そのイメトレはしてたと思う。

なせばなる
なさねばならぬ
何事も

この日は「なしてなかった」

過去って何でしょうか。頭の中にしか、過去は存在しない。って、今思う。常に現在しか存在しないという多少なりとも切ない事実に、形だけでも抗う一つのやりかたが、日記を書くということなのかもしれない。

常に現在しか存在しないけれど、人は音楽を聴くことができる。直前の過去に聴いた音が頭に残っているから、現在、メロディーを認識できる。前のメロディーを覚えているから、主題と変奏がある。

つまるところ全ての答えは、「よりよい音楽をかなでること」なのではないかって最近は思う。(これは一種の処世術としても)

よりよい音楽をかなでるために、必要ならば「日記」を書けばいいし、「日記」が必要ないなら書かなければいいし、「日記」を書かない方がいい人もいるだろうし。
でも僕はこの間「日記」を書かなかったことによって、かなでている音楽がよくないように思う。なので「日記」は書かなければね。

ということで23日でした。

24日。仮免受かりました。これを持ってドライビングスクールは小休止とします。東京に戻って、短期集中で取ろうと思います。そもそもの始めから、自分のキャパってものをもっとちゃんと認識しておくべきだった。
でも教習所の人たちは皆優しくていい人だったので、ここで取り終われないことに残念さはあるけれど。

そして、明くる日のまほろばの里 納涼祭の準備をしました。散らかっていた部屋をガッと片付けたら気分がすっきりしました。

25日は納涼祭。お客さんが沢山。僕は「銅鑼ならそうゲーム」と「トランスフォーメー書ン」という二つのパフォーマンスをやりました。


銅鑼ならそうゲーム

家の真ん中に銅鑼が下がっています。僕が銅鑼を鳴らすとゲームスタート。お客さんはお手玉を銅鑼にぶつけます。僕はシャドーボクシングをしながら家の説明をしながら邪魔をします。お手玉が銅鑼に当たると、うまい棒をあげます。最後に、家の神様にお参りをして終わります。

意外と評判が良かった。

「トランスフォーメー書ン」
水で書ける紙に古代文字をかき、それがどんどん変形していく。というパフォーマンス。

こんな炎天下でやったのは初めてだった。

夜は、盆踊りをまほろばの皆さんと踊った。充実した一日だった。

26日は谷内丑(やちうし)のこども神輿を担ぐ。
未明に日本海に遊びに行き、
27日は一日、つまり神社の神輿を担いだ。

神輿って、すげー。年に一度、神様を地域に行き渡らせる。みんなで担いで。家の前で、わっしょいってあげると、その家の主人は「ご苦労様です、ありがとう」という。

これが昔から、「必要とされてきた」ということが参加していると感覚として分かる。

僕は疲れ果ててしまい、夜のフィナーレ(宮入れ)を見そびれてしまった。なんかすごかったらしく、見ればよかったなと思う。まあまた来る理由ができたと思えば。


そして28日(昨日)。

ひとりで読書をしたり、ラーメンを食べに行ったり、皿洗いのバイトをしたりしながら、×日町での毎日を作品に落とし込むプランについてぼんやり考えた。

手を動かすことは「空(くう)」に通じる。


・パフォーマンスをする上での「悪しき刧(ごう)」は溜まるものであり、反対に「良き刧」は空のかたちをとる。
・野田秀樹はエッセイで演劇を皿洗いに例えていた。今日はいい芝居が出来た、そう思っても、悪い芝居(=皿)はすぐに溜まる。だから、すぐにまた洗わないといけない。

・こんまり先生のお片付けの本は、「自分に必要ものを持つ(必要ないものを捨てる)」ことに重きを置いている。

とにかく実践することが肝要だろう。
すべての答えは出ているので。







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